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Jun Yamaoka
山岡 潤
Euphonium

 

小学6年生の夏、学校にはじめて金管バンドができたときピカピカ光る楽器に引かれてクラブに入ったのがきっかけでした。ころころ太っていた私に先生はその中で一番大きいユーフォニアムをやるように指示しました。中学では朝礼の行進でマーチばかり吹いていました。高校生になりジャズに興味がでてくるなかクリフォードブラウンのレコードに出会い、こんなふうに吹きたいと思いはじめました。音楽大学でジャズに魅せられた先輩達に近づきますが、さっぱり分からなくて、卒業後に恩師三浦徹先生に紹介いただいたジャズユーフォニアム奏者/教育者リッチマティソン氏に教えを請うために渡米し、5年半アメリカ南部、中西部で暮らしました。帰国後は日本のジャズシーンに圧倒されて地味に活動をはじめましたが、すらすらと音が出ない自分を痛感し、楽器向きではない自分はどうやれば音が楽に出るかを考える年月がもう四半世紀を越えてしまいました。
 

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